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「大衆モンス ター」の襲来とCM放送の中止

「大衆モンスター」の襲来

■CM放送中止
またしても人気のCMの放送が中止に追い込まれた。毎日のように目にするカップヌードルのコマーシャル。「二兎追うものは、一兎をも得ず」矢口真理の自虐ネタに対して批判が集中し、僅か1週間で放送中止に陥ってしまった。
インターネットで増殖した腕力の強い弱者(一般人)がモンスター化しています。こうした無秩序な攻撃「大衆モンスターの襲来」への過剰反応が社会を混乱させています。

●ネットに群がる『大衆モンスター』
企業や組織の些細なミスも許せない!こうした過剰な攻撃は、ワイドショーで話題の芸能人や著名人の不倫に対する追及にも共通しています。
今、患者や消費者・一般市民といった社会的弱者であることを盾にして、些細なミスをとらえ圧力をかけてきます。こうしたネット・SNSを利用した“エセ社会派”とも言える「腕力の強い弱者」の理不尽な集中攻撃に、自由だった社会が畏怖して閉そく感に陥っている。
自分は一消費者(弱者)だが、「不謹慎だ!あるべき姿はこうだ」「その姿勢は許せない」「納得できない」と理想論で企業を糾弾します。
このように“弱者”と“大衆”を振りかざすモンスターはネットという強力な武器を得て、無秩序に連携することで、企業や組織・著名人側を袋叩きにする構図になっています。
要するにブラック企業と名指しされたくない「受け身の企業」VS匿名で反撃されないことをいいことに好き勝手な意見をネットで毒を吐く「大衆モンスター」の無理やりな攻撃に現場は右往左往しているのです。
○私が、特に警鐘を鳴らしたいのは、皮肉にもCMで矢口真理が危機管理の権威でテーマが「失敗から学ぶ」だった事です。今、大衆モンスターの攻撃を恐れて、企業・組織の様々な活動が制限されています。こうした流れが社会に重いグレーな雰囲気を与え「内向き、後ろ向き」になり競争力を失っていることになるのです。

●『備えあれば憂いなし』
突如発生する大衆モンスターの襲来や異物混入などの難渋クレーム。その対応を誤れば、不祥事としてインターネットで瞬時に拡散するリスキーな時代を迎えました。
「ネットに映像を流す(書き込む)ぞ!」理不尽な“大衆モンスター”の襲来です。
増殖する「腕力の強い弱者(消費者)」に対して、企業は、弱腰にならざるをえず、パニック・クライシスに陥る可能性も否定できません。
○危機管理の観点から「失敗から学ぶ」ことができないのであれば、「体感して学ぶ」ことが最も重要になります。「備えあれば憂いなし」、備えがないから憂いてしまうのです。
イザという時に右往左往しないよう「ロープレ研修」などでトラブルや悪質クレーマーを体感し、対応態勢を強化しましょう。

クレーマー詐欺事件

モンスタークレーマー詐欺事件

 

兵庫県警伊丹署がモンスタークレーマー(45歳無職の女性)を詐欺容疑で逮捕しました。女は、30以上の都府県でケーキ屋店などに「髪の毛が入っていた」などと7000回以上も偽クレーム電話をかけ、1200店から現金や商品をだまし取っていました。

恐るべきモンスターなクレーマー!・・・・。しかし、詐欺にひっかからなかった店舗もたくさんあります。その差は何なのでしょうか?

被害者にならなかった店舗の特徴は、「クレーム電話」にも焦らず慌てずに対応しています。丁寧かつしっかりと状況や事実確認を行った店舗に対して、犯人は『もういいです』とすんなりと引き下がっているのです。

こうした事実からも分かるようにクレームが発生した場合、重要なのは初期対応です。

まずは相手の立場で 親身に一所懸命に対応することが重要ですが、「誠意」ある対応とは慌ててクレーマーの要求を丸呑みすることではありません。

《クレーム対応の流れ》 と基本方針

 ①「初期対応」はスピーディーで親身な対応 ⇒ 相手の立場で誠心誠意対応する姿勢

 ②「事実確認」しっかりと確実な実態把握  ⇒ 丁寧に状況を聞き判断材料の収集

 ③「不審な点を感じたら」慌てて解決しない ⇒ 組織として有機的に連携し解決する

「異物混入」がインターネットで拡散する不安な時代。クレーム対応の流れと基本方針をを徹底しましょう。

土下座要求への備え

「土下座要求への備え」
■業務をしていると、些細なミスや勘違いによって顧客の怒りに触れることが少なくない。時にはその怒りが暴力的なものとなり、業務に支障が出るケースもあります。リスクマネジメントの観点から、こうしたトラブルに備えて“イザという時”どうするかの手順をあらかじめ決めておく必要があります。『備えあれば憂いなし』備えがないから憂いてしまい、心が折れてしまう原因となるのです。
「辞めてしまえ!」「土下座して謝れ!」などと、凄まれると“強要罪”や“業務妨害罪”に該当してすぐに警察が逮捕できるのではないのか?
講演の際、元刑事の私に対して期待交じりに質問を受けますが、答えは「NO」です。
何らかの原因で興奮した相手が怒鳴り声をあげただけでは、まだ犯罪の領域ではなく直ぐには警察の介入は望めません。警察的な言葉で説明すれば「犯罪の構成要件」が足りないのです。それでは現場はどうすれば良いのでしょうか?
先ず、対応する側が「土下座はできません」「無理です」明確に“断る”ことが必要です。
そのうえで、断ってもなおしつこく付きまといや過大な要求が続けば“施設管理権限”に基づいて注意と警告を実施しなければなりません。
即効性は(拍子抜けするかもしれ)ませんが次のような手順で対応します。
■対応手順「お願い」・・「注意」・・「警告」・・「通報の予告」・・「警察通報」
① 先ずは静かにするようお願いする (他の顧客さんに迷惑がかかるから)
「他の人に迷惑になるので、静かにしてください」
② 静かにしない場合は再度注意 (管理権限を有する者として迷惑行為を放置できない)
「先ほどもお願いしましたが、静かにしてください」
③ 注意に応じない場合は警告する (業務妨害罪に該当することを警告)
「これ以上騒がれると業務に支障が生じます」退去を促す
④ 警察を呼ぶことを告げる( 退去勧告と警察通報の予告)それでも騒いで退去しない
「静かにして(退去)いただけない場合は、警察を呼びます」
⑤警察へ通報 (緊急を要する場合は“110番”、緊急性がなければ“#9110”)
誰がどのように通報するか具体的に決めておき、所轄警察署に事前相談する事も重要
※また、トラブル発生時は、複数の人間が最優先で対応するように手順を決めておく。
こうした手順を経てこそ「不退去罪」や「威力業務妨害罪」の構成要件に該当してくるのです。
最近の講演や研修ではロールプレイングを取り入れることが多く、みなさんから「いきなり理不尽なことを要求され、大声でまくし立てられたら頭が真っ白になった」といった意見や、逆に「ロープレがリアルで結構ムカついてキレかけた」などの感想を頂戴します。
ロールプレイと分かっていても、聴講者の顔が真っ赤になり手に汗をかいている様子はよくわかります。組織は「バックアップ態勢」で現場をフォローし、個人は「ギブアップ耐性」を鍛えて、いつ何が起きるか分からない“リスク社会”に備えてほしいと思います。

理不尽な怒りを伴うクレームへの対処法

医療機関で働いていると、小さなミスや勘違いによって患者さんや家族の怒りに触れることが少なくない。時にその怒りが暴力的なものとなり、業務に支障が出るケースもある。近年、コンビニエンスストアの店員などに土下座させた写真をインターネットに投稿して逮捕者が出るといった事件が何度も発生しており、医療機関も決して他人事ではない。

こうした理不尽な要求があった場合、医療現場はどのように対応するのか。

「理不尽」――。この言葉を辞書で調べると、「道理に合わないこと。また、その様」とある。つまり、物事の正しい筋道、人として行うべき正しい道からそれているということだ。簡単にいえば、「あの人、ちょっと違うんじゃない?」と感じることを、あたかも、当たり前のように行う「自己中な人」と言っていいかもしれない。

世の中には、理不尽なことをしたり、言ったりする人がたくさんいる。あなたの身の回りにも、思い当たる人が何人かはいるはずだ。

こうした「理不尽な人」との対応は、神経をすり減らし、あなたの幸せな時間と精気を奪い取るモンスターである。

ところが、現代社会のモンスターたちは、見た目は「普通の人」と変わらない。モンスターというと、その言葉の響きから極悪人を連想するかもしれないが、いま日本列島を席巻しているモンスターのほとんどがネットやSNSなどを利用して腕力が強くなった一般市民である。

モンスターの多くは、過剰な権利意識と併せて被害者意識(被害妄想)をもち、自分が常識はずれなモンスターであることすらわかっていない。

しかも、社会的な弱者である患者の立場により生じる過大な要求は、事実上、野放しの状態である。私たちは、こうした現実で業務を行っていることを自覚して自己防衛するほかない。

 

■2025年問題は既に始まっている~いつのまにかモンスター化した団塊世代~

団塊世代が後期高齢者になる「2025年問題」は早くから問題視され、抜本的対策が必要だと指摘されている。一般的には、医療費などの社会保障費の急膨張による、医療・介護のサービス体制の見直しについて語られてきた。

しかし、医療の現場ではすでにクレーマー対応の悩みは前倒しされ、既に深刻な問題になっている。

○「孫に何かあったら、どうするんだ!」

 突然、ひとりの老人が医療機関大声を張り上げた。そのすぐ横では、泣きべそをかく幼児を母親があやしている。

看護士が慌てて駆けつける。「申し訳ありません。大丈夫ですか?」

 老人は顔を真っ赤にして叱責する。

「大丈夫なわけがないだろう。こんなに泣いているじゃないか!」

 一見したところ、子どもに外傷はなく、涙を拭った痕はあるものの、すでにケロリとしている。子どもが足をばたつかせて遊んでいるうちに、椅子から転げ落ちたらしい。大騒ぎするほどのことではない。

ところが、老人はつかみかからんばかりの剣幕である。若い看護師はなにがなにやらわからず、オロオロするばかりだ。

 八つ当たりとしか思えない老人の振る舞いだが、見かけはこざっぱりした、優しそうな好々爺だ。いったい、なにが老人を怒らせたのだろうか?

 じつは、こんな背景があった。この老人は70歳を間近に控え、ひとり暮らし。以前は、家庭で「フロ(風呂)、メシ(飯)、ネル(寝る)」としか話さないような亭主関白だったが、定年後、熟年離婚という形でそのツケが回ってきた。

彼自身、このわびしさは身にしみてわかっている。普段は孤独感や老いに対する恐怖心には蓋をして、なんとか平穏に暮らしているが、ちょっとしたきっかけで、そのやるせない思いを暴発させてしまうのである。

 しばらく会っていない孫が風邪をひき、不安な母親と同行して病院にきたのである。頼りにされている充実感とともに大きな期待感を抱く。それだけに、受付のちょっとした不手際も許せない。

「待合が不衛生で汚れている。すぐにきれいにしなさい」子ども向けの絵本が少ないな」

「一時間待っているのに、まだ名前を呼ばれない」

 団塊世代などに多いのが、寂しさを埋め合わせるように「説教魔」になるパターンだ。

日常感じている不満が些細なきっかけで爆発し、烈火の如く怒り狂うのも不自然ではない。

今、私がクレーム対応の指導をするなかで強く感じているのは、“シルバーモンスター”が増えていることである。かつて仕事人間で合った老人が、リタイアした今、激しい競争社会で身につけた交渉力を武器に相手を論破しようとするが、そのバイタリティとは裏腹に(うつ)(くつ)した感情を抱え込んでいる人が少なくない。

 年末の繁忙期、混みあう医療機関ではあれこれクレームをつけ、長時間にわたって持論を展開する男性の対応に追われていた。

「こんなところに医薬品を積んでおいては危険じゃないか。ほかに倉庫を確保すべきだね」

「そろそろ施設のリニューアルが必要じゃないか。院内にコンビニも導入したほうがいい」

 まるで「水戸黄門の世直し」気取りである。言っていることは間違いではないが、その多くは理想論に過ぎない。一方、医療機関側としては煩わしく思いながらも、患者満足の精神からむげにはできない。

 この男性は「困った患者さん」の典型だが、彼の心も寂しさでいっぱいだ。自分の存在価値を他人に認めてほしいが、ちっとも認めてもらえない。家人に話しを聞いてもらいたくても、忙しい現役世代から愚痴っぽい話しは敬遠される。その満たされない思いの代償を求めているのである。

「病院への”火炎瓶”投げ入れ事件をとらえて」

「病院への火炎瓶投げ込み事件をとらえて」

~常識の通用しないモンスターにどう向き合うか~

■八王子市内の病院に“火炎瓶”が投げ込まれた事件で、47歳の男が逮捕されました。犯人は形成外科に通院していて、病院の対応に度々クレームをつけていたという。

常識の通用しないモンスターにどう向き合えばいいのか。医療現場の悩みは深まるばかりである。

さて、不安な社会を反映し、いまや、「クレーマー」は日常語として定着し、「モンスター」という言い回しも違和感なく使われるようになった。「モンスターペアレント」や「モンスターペイシェント」は、その先駆けといえる。

モンスターペイシェントは、病医院に対して無理難題を突きつけたり、医療従事者に暴力を振るったりする、患者やその家族である。

彼らは、モンスターの名にふさわしく傍若無人な振る舞いをするが、その心の奥底には強烈な思い入れのあることが多い。

モンスターペイシェントには、自分や家族の健康・生命への渇望があり、それが満たされないと、些細なきっかけで怒りを爆発させる。

もうひとつ、モンスター社会の大きな原因の一つとして、サービスの問題がある。一般にサービスを受ける側は大変な恩恵を受けられるが、反対に、サービスを提供する側は時間に追われ、従来の何倍もストレスが溜まるのは当たり前の現象ともいえる。

医療機関も、昔と立場が変わってサービスが重要視されるようになった。

現代社会においては、サービスを受ける側は便利さに慣れているため、待たされることを許容できないなど、我慢の利かない人間が増えている。

サービスを提供する側がCS(患者満足)を追求すれば不満も増える。便利な世の中になるほど、不満を感じる人が増えるという図式は、現代社会の歪みといえる。

モンスターペイシェントも、普通の人も、怒りを爆発させて突発的に引き起こす凶悪事件の根本原因は同じ「社会変化に意識の変化が追いつかない」ことではないかと考えられる。

近年は誰もが予測できない凶悪事件の被害者や、モンスターの餌食になる可能性が高まっている。すなわち、犯罪者やモンスターと普通の人とを隔てるグレーゾーンが拡大

し、危険な人物の見極めが難しいハイリスク時代を迎えたのである。

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こうした社会情勢の中で、クレーム対応の担当者が置かれている状況はことのほか厳しい。なぜなら、攻撃できるのはクレーマーで、対応側は専守防衛だからである。

一般にマスコミの論調や世論は、企業や行政機関、病院、学校などの「組織」に対してアゲインストで、ひとたび問題が生じればいっせいにバッシングに走る傾向が強い。また、組織は社会性や公共性を意識している分、弱腰にならざるを得ない。

その反面、「個人」はモンスターと呼べる輩であっても、消費者、患者、生徒という「弱者」のレッテルが貼られている。

そこにインターネットやSNSの登場によって、個人は強力な情報発信の手段を手に入れ、以前とは比べものにならない圧力を組織にかけることができるようになった。

医療機関の対応が気に入らなければ、それを世界に向けて発信し、不満を持った者同士が連携できる。いわば、「腕力の強い弱者」の誕生だ。

さらに恐ろしいのは、クレーム対応を誤ると、苦情を訴えた本人からそっぽを向かれるだけでなく、一瞬にして不特定多数の人々にマイナス情報が拡大してしまうことである。インターネットという「便利で厄介なもの」により、医療機関のリスクは大幅にアップした。

「インターネットで流すぞ!」という脅し文句には相当の威圧感を感じるはずです。

「私は客(お金を払っている患者)だ!」「そんな対応じゃ納得でない!」患者満足を逆手にとって一歩も引かない構えを崩そうとはしない。

相手が理不尽だからといって「倍返し」とはいかないし、対応を誤ればインターネットで「何万倍返し」されるか分からない。

さらに相手にはあり余る時間があり、対応する側は常に業務に追われ時間がない「超ハンディキャップ戦」なのである。

しかし、クレーマーは十人十色、その目的や動機も千差万別。 そもそも、クレーマーが抱える不安や不満――心の闇――に対して完璧な対応をしようとするのは無理である。

要するに、クレームの現場は常識(正論)だけで片付くものではくマニュアルも役に立たない。

現状に100%満足している人は、まずいません。多かれ少なかれ、自分の将来について不安を感じていたり、社会や組織、人間関係に不満を抱いていたりするはずです。それが怒りや嫉妬といった負の感情と結びつくと、やがて心のタガが外れてしまう。

モンスターというと、その言葉の響きから極悪人を連想するかもしれませんが、いま日本列島を席巻しているモンスターのほとんどが、もともとは善良な一般市民なのです。私は、彼らを「ホワイトモンスター」と呼んでいます。

 これまで述べてきたモンスターの「生態」からもわかるように、巷にあふれるトラブルの多くはホワイトモンスターによって引き起こされています。

 ホワイトモンスターは、ホワイトな心を根にもちながらも、負の感情(不安)にとらわれて社会をグレーに染め上げているのです。いまや、「闇社会」の主役はホワイトモンスターなのです。

こうした状況は、今後ますます深刻化するでしょう。なぜなら、ネット環境が身近になればなるほど、「ネットモンスター」が増えたように、社会の変化に乗じた新たな“色”のモンスターが誕生するからです。

それは、対応する担当者の僅かなミスも許さない“受難の時代”の到来を意味します。

 

 

クレーム畏怖社会と広告表現の危機

クレーム畏怖社会と広告表現の危機

納得しないクレーマーの増加

最近のインターネットニュースや週刊誌の報道から、クレーム畏怖社会の到来を実感しています。「カエルのキャラクターが未成年者の飲酒を助長する」(キリンビール/缶チューハイ「本搾り」)、「つけ鼻と金髪のかつらを用いたCMは人種差別を煽っている」(全

日本空輸/羽田国際線大増便)などのクレームにより、数々のテレビCMが放映中止に追い込まれている現実。さらに、「美味しんぼ」の表現に対してのバッシングが続きます。

では、理不尽なクレームに対して企業は過剰反応しているのでしょうか?

今、誰もが、何を信じて良いのか分からないという不安な時代を生きています。些細な動機により事件が発生する現実が、人々の不安をかきたてて“不満”のガスをためています。

現代社会では、こうした普通の人と犯罪者の間の「ボーダレス化」が進んできました。いわゆる“モンスター”とよばれる人たちもボーダレス化し、一見して普通の人がモンスターに変身することも多く、体感治安が悪化しています。すなわち、誰もがモンスターの理不尽な攻撃にさらされると可能性と同じように、モンスターに変身して

しまう可能性も高まっているのです。そして、皮肉なことに、サービスを提供する側が満足を追求すれば、“満足のハードル”は高くなり、逆に不満が増えることになります。便利な世の中になればなるほど不満を感じる人が増えるという図式は、現代社会の歪みといえるでしょう。満足の期待値が上がり、その一方で怒りの「沸点」はどんどん下がってきます。待てない、満足できない、“便利で豊かな時代”は“我慢できない、やさしさの足りない時代”でもあるのです。

最近は、このような背景からでしょうか、理想・正論を語る社会派(インテリ・プライド)型の“「納得しない」クレーマー”が増えています。「こうあるべきだ!」という錦の御旗を振りかざし、あれこれクレームをつけてきます。対応する側は時間に追われ、何倍もストレスがたまってしまいます。行き過ぎた権利意識と個人主義が、“協調性や思いやり”を絶滅危惧種にしながら拡散しているのです。思い通りにならないのは「企業のせいだ、マスコミのせいだ、社会のせいだ」という“せいだ病”が蔓延して、自分のことは棚に上げ、他者に厳しい人間が増えました。彼らが厄介なのは、些細なきっかけで感情のコントロールが効かなくなり、本能のままに敵意の牙を剥きだしにし、集団で企業(獲物)を襲

うことにあります。

特に最近の苦情の傾向として、電話でのクレームが減少する一方、ネットで気軽に自己主張する傾向が拡大しています。電話は録音体制が進んだことから減少し、匿名で好きなように書き込めるネット環境は勇気も行動力もいらない。背景にあるのは間違いありません。

例えば仕事が終わった金曜日の深夜にテレビを観ながら不満をため、業務のストレスを発散するかのように、ネットを利用して気軽に「社会や企業

の“あるべき姿”を自己主張する」。企業側は顧客満足の精神からクレームを放置できず、週明け月曜から、こうしたネット上の主張に丁寧に答えていく「いたちごっこ」状態にあります。

“クレーム過多による負の連鎖”状態にあるといえます。

ホワイトモンスターの誕生

現状に100%満足している人は、まずいません。多かれ少なかれ、自分の将来について不安を感じていたり、社会や組織、人間関係に不満を抱いていたりするはずです。それが怒りや嫉妬といった負の感情と結びつくと、やがて心のタガが外れてしまうのです。

 “モンスター”という言葉の響きからブラックで凶悪な人を連想するかもしれませんが今、あちこちでみられるモンスターのほとんどが、もともとは善良な一般市民なのです。筆者は、彼らを「ホワイトモンスター」と呼んでいます。

ホワイトモンスターとはインターネットで増殖した腕力の強い「弱者(一般人)のモンスター化」。「自分は一消費者で弱者だが、企業の“あるべき姿”はこうだ」とネットで理想を振りかざす存在です。

こうした“弱者”のホワイトモンスターがインターネットという強力な武器を得て、ネット上で連携し企業側を袋叩きにする。一旦、モンスター化すれば企業をでブラック扱いし、ネットで炎上させる。メーカーに「嘘をついている」「正しい情報を出せ」と必要以上に強く要求する「ホワイトモンスター」が社会を混乱させていると感じます。

自社サイトが攻め込まれたら?

スマートフォン・携帯電話やパソコンはいまや必需品。あらゆる情報を手にできます。すぐに効率的で有利な答えを得ようと情報を集めますが、世の中に“完璧”な答えなどありません。また、インターネットで入念に事前の情報収集を行い、しっかり理論武装してから乗り込んでくるモンスターもいます。対応する側は先手を取られ、窮地に追い込まれます。「会社のホームページを細かくチェックし、重箱の隅をつつくような質問をしてくる。嫌がらせとしか思えない」と、ある企業の総務担当者は嘆いています。

従来は“難癖”的なクレーマーが多く、「ホームページで最高のおもてなしをうたっているが、接客がなっていない!」「社長のメッセージが現場に届いていない!」といった「直接型の対面クレーム」に頭を悩ませていました。

ところが今は、相手の顔が見えません。匿名のネットやSNSでの攻撃に関しては撃退しようとしない、相手の土俵に上がらないことが鉄則です。よりベストな対応は、不満の“ガス抜き”をすること。企業として親身に対応している。できうる限りのことはしていると思わせることが、真摯な企業姿勢となり消費者にも届くことになります。

「ご指摘、ありがとうございます」という姿勢で、企業も消費者も「両得の関係」を目指すのです。

最大手企業が標的になる理由

企業のイメージ戦略の中で最も重要なテレビCMが、インターネットやSNSで苦情の嵐となり「何万倍返し」になる恐怖ははかり知れません。そのリスクが高まることによって、クレーム対応の“現場の悩み”はますます深まっているようです。

一般にマスコミや世論は、企業や行政機関、病院、学校などの「組織」に対して「強者」というレッテルを貼り、ひとたび問題が生じれば一斉にバッシングに走る傾向が強いと言えます。「組織」は社会性や公共性を意識して、どうしても弱腰にならざるをえません。一方、「個人」は“モンスター”と呼べるほど非常識であっても、消費者、視聴者、患者、という「弱者」の立場なのです。こうした社会情勢のなかで、クレーム対応の担当者が置かれている状況はことのほか厳しいといえます。なぜなら、攻撃できるのはクレーマー

で、対応する側は専守防衛しかないからです。

特に最大手企業の寡占化に不満を持つ消費者は多く存在しています。ほとんどの企業は、横並び体質で、行政や消費者と当事者になることを嫌います。

ナンバーワン企業は、好まなくても「当事者にならざるを得ない」状況によるところは大きいと言えます。まず、リーディングカンパニーの動きを確認したうえで会社の方針を決めている企業は数えきれません。

であればこそ、トップカンパニーは「王道を歩む」必要があります。場当

たり的な事無かれ主義や「臭いものにふた」といった調子では、公益通報__制度や、不満を持つ社員からの情報漏えいで大企業といえどもクライシスに

陥る原因になるからです。

企業環境のハイリスク化

これまで述べてきたように、現代社会では、これまで、弱者と言われてきた方が社会的な力を持つようになりました。インターネットとSNSいう万民が自らの意見を気軽に発信できる機械(機会)を得ました。さらにスマホや携帯電話にはカメラと録音機能がついています。対応を間違えると瞬時に奈落の底に落ちてしまいます。クレーム対応が不安なのは、こうした「剛腕弱者、強面消費者」という超ハンディキャップ状態が原因なのです。

相手から暴力をふるわれる恐怖ではありません。失敗して落とし穴に陥り、社会的なバッシングを受けて炎上する恐怖感を持ちながら対応しているのです。

一般に、消費者と対応する側の企業よりも、弱者に世論の支持があります。特にネット環境はこうした傾向が強く、行政機関・監督官庁も弱者保護の原則が働き、圧力を受けるのは企業側になります。このように強烈な逆風の中での業務は、担当者一人で乗り切れるよ

うな安易なものではありません。

危機管理の初めの一歩

では、何から取り組めば良いのでしょうか。危機管理というと、テーマが大きすぎて「何をすればよいのか分からない」と思いがちですが、初めの一歩は“危機を意識すること”から始まります。

私は、危機管理について分かりやすく説明するために、まずは“さしすせそ”の意識を持つことから指導しています。

特に大切なのが、「最悪の状況をイメージし」備えることです。事実、日々様々な事件・事故が発生していますが、過去の事例と似ているものも多く、教訓化していれば防げたケースも多いのです。次に「組織で対応する」こと。従業員を孤立させない。組織的なシステムとして、当たり前のことを当たり前のこととして、確実に実行できる土壌をつくっておくことです。これを現場の危機管理の意識付け、チェックポイントとして有効活用してほしいと思います。事件・トラブルに発展する前に、「早めに対処していれば“犯罪の芽”を摘むことができたはず」と思われることが多いからです。

クレーム社会への対応策は?

今、クレーム対応する企業側はナーバスになり、過敏になってきていると言われています。「大きな問題になる前に過剰に守りに入り過ぎて、企業活動の活力を奪っている」と指摘する人もいます。では、果たして過剰対応と言えるのでしょうか?

リスクだらけの今こそ、平穏な日々(何も起こらない素晴らしさ)を再認識すべきです。幸福の絶対条件は、無差別攻撃に遭わないこと、そして、万一巻き込まれても被害を最小限に抑える“心構え=ダメージコントロール”をしておくことです。

繰り返しになりますが、企業のイメージ戦略の中で最も重要なCMがインターネットやSNSなどにより「何万倍返し」になる恐怖ははかり知れません。ひとたび何かが起きてしまい、これを放置すれば現場のモチベーションは下がり、“ブラック企業”と名指しされるかもしれません。混迷社会の中で負の連鎖が始まるのです。標的となる担当者は、いわばア

ウェーの環境にいるのです。クレームを受ける現場こそ武器もなく撃退もできない弱者と言わざるをえません。こうした状況は、今後ますます深刻化するでしょう。なぜなら、インターネット環境が身近になることで、「ネットモンスター」が増えたように、社会の

変化に乗じた新たな“タイプ”のモンスターが続々と誕生するからです。

それは、対応する企業にとっては、わずかなミスも許さない“受難の時代”の到来なのです。こうした“混迷の時代”においては大きな問題になる前の対応、火事になる前の“初期消火”こそが重要になるのです。

 

10月月報

10月

有名ホテルの食材偽装やメガバンクの反社会的勢力との取引など、マスコミによるブラック企業叩きはますますエスカレートしている。また、今回の偽装は氷山の一角との声も聞こえ、顧客への裏切り行為を糾弾する、クレームの増加に拍車がかかることは間違いない。

いま改めて、企業のリスクマネジメント能力がクローズアップされている。

 

そこで、今月はリスクマネジメント(危機管理)5カ条について徹底しておきたい。

 クレームへの適切な対応は、顧客満足度を高めるために不可欠であると同時に、企業における危機管理の要衝でもあります。

 そこで今回は、ぜひ「危機管理の5カ条」を「さしすせそ」で覚えておいてください。

「さしすせそ」と聞くと、調味料(砂糖、塩、酢、醤油、味噌)や主婦の仕事(裁縫、躾け、炊事、洗濯、掃除)を思い浮かべる人が多いと思いますが、危機管理においても「日頃から意識しておくべき」重要な事項が5つの言葉に凝縮されています。

危機管理の5カ条

▲「さ」最悪のケースを念頭に置く(イメージしておく)

▲「し」視野を広くもつ。周囲との連携(気配り・目配り)

▲「す」隙を見せない。スピーディーな対応

▲「せ」責任の自覚。セキュリティーは先ず「心の施錠」

▲「そ」組織対応できるシステムづくり(教育・チェック・支援体制)

各項目について説明しよう。

●「さ」は、最悪の事態を想定して、それに備えることです。

これは危険予測につながる心構えであり、危機管理の基本と言えます。手慣れた日常業務のなかにも、リスクは潜んでいます。このことを自覚する「用心」を忘れないことが大切なのです。たとえば――。

 応接室で悪質クレーマーと交渉するとき、テーブルの上にガラス製の立派な灰皿が置いてあったとしたら、どうしますか? まず考えなくてはならないのが、「クレーマーが灰皿を投げてくるかもしれない」ということです。このようにイメージすることができれば、手早く灰皿を片づけ、落ち着いて対応することができます。

●「し」は、視野を広げ、周囲に注意を払うことです。危機管理というと、難しいことのように思うかもしれませんが、そうではありません。まず、挨拶からはじめればいいのです。

たとえば、来店者や訪問者に対して「こんにちは」と挨拶し、待たされてイライラしている患者を見かけたら、「お待たせしています」と一言、声をかければいいでしょう。

 こうした目配りや気配り、心配りは、一般企業では接客マナーとして一般化しています。事実、従業員教育がしっかりしている企業は顧客満足度も高くなっています。しかし、顧

客に対する目配りや気配り、心配りはクレームやトラブルに対する「護身術」でもあることを忘れてはなりません。

 たとえば、万引き犯など不審な客が入店してきたとき、「こんにちは」「いらっしゃいませ」と声をかけるだけで、相手に「自分が見られていること」を自覚させ、犯行を思いとどまらせる効果があるのです。

 企業でも同じことが言えます。訪問者への目配りや気配り、心配りは取引先の満足度を向上させると同時に、犯罪を未然に防ぐ防犯の役割もあるのです。

●「す」は、隙(すき)を見せない。スピーディーな対応(報告)を心がけることです。トラブルは最優先に対応しみて見ぬふりは厳禁です。したがって、悪いニュースほどできるかぎり迅速に報告する「バッドニュースファースト」が基本です。

ただし、スピーディーな対応とスピード解決を混同しないように注意してください。クレームやトラブルからはできるだけ早く解放されたいと思うのが人情ですが、解決を焦ってはいけません。

 とくにハードクレームや重大問題に発展しそうな案件では、腰を据えて長期戦に持ち込んだほうがいいケースも少なくありません。

●「せ」は、組織の一員としての責任を自覚することです。当たり前のように聞こえますが、クレームやトラブルが発生した現場では、しばしば「たらい回し」が起きます。仮に自分の担当でなくても、クレームを受けたら、その場で真摯に耳を傾けることが大切です。

会社に対する責任、上司や同僚・部下に対する責任。そして何よりも重要な「お客様に対しての責任」を自覚していれば、コンプライアンス違反も起こらないはずです。

●「そ」は、一人ひとりの職員を孤立させないことです。これは、有事の際の「手配り」、すなわち手配を指します。つまり、どのような事態に陥っても慌てないように、段取りや手順を決めておくことです。

 たとえば、クレームやトラブルに対して1人で対応しないシステムづくりも重要です。2人1組のペアを決めて、一緒に対応する「職場の相棒作り」も有効でしょう。

ある意味、「仕事のやりがい」やチームワークの強化は、困難な局面を乗り越えてこそ向上するといえるのです。

9月月報

9月

長時間労働やパワーハラスメントなど、労働環境が劣悪な「ブラック企業」が何かと話題になっている。テレビドラマのように“倍返し”出来ない社員の不満は募っているのだ。

しかし、私は「コンプライアンス」という言葉が使われるようになってから企業での不満は増えてきたように感じている。

もちろん法令の順守や犯罪行為については論じるまでもないが、「セクハラ・パワハラ」のなかには、「そこまで細かく指摘されたら、人間関係が息苦しくなる」と感じることも多い。

酒好きの論理かもしれないが“酒宴社会”が、人間関係の潤滑油であることは確かで、アフター5で学ぶことも多い。

このように「ブラック企業」といっても、所詮は個人の感じ方によるところが大きいのではなかろうか。要するに、「適当な人と神経質な人」は“感受性”が違う。

適当な人間だからであろうが、私が仕事で息苦しさを感じることが少ないのかもしれない。

さて、クレームの現場は社会の縮図である。これまで数多くのクレーマーに対峙してきたが、そのなかで感じるのはグレーゾーンの拡大に歩調を合わせるように、社会全体がどんよりした雲に覆われつつあることだ。

たとえば都会のラッシュアワーでは、サラリーマンが「ひたひたと押し寄せる不安」や「破裂寸前の不満」を抱えながら、諦め顔で先を急いでいる。私には、彼らがモンスター予備軍に見えてくる。

「モーレツ社員」は死語になって久しいが、それに代わって「格差社会」が聞き慣れた言葉になってしまった。そして、その背後からは「無縁社会」が顔をのぞかせる。

社会から孤立し、組織からは使い捨てのように扱われる人々を「ビニール傘」にたとえることもできるだろう。コンビニや100円ショップでは、安価なビニール傘が売られている。天候不順の季節には重宝するが、大切に扱われることは少ない。拾得物を管理する警察によれば、傘の落とし物を引き取りにくる人は1%にも満たないという。

出張などで飛行機に乗るとき、空港までは雨除けのためにビニール傘を差していても、機内に持ち込むのは面倒なので、わざと空港ロビーに置いていかれる。

しかし、そんなときは妙に心がざらつくのではなかろうか。躊躇なく使い捨てにされるビニール傘と、ぼろぼろになって置き去りにされる自分がオーバーラップするからだろう。

私は、警察として治安維持に取り組み、民間人としてハードクレームに悪戦苦闘するなかで、否応なく自分自身の生き方や社会のあり方にも目を向けることになった。そこには、トラブルやクレームを乗り越えるためのヒントも隠されているように思う。

 

誰もが自分が可愛い。「ビニール傘のように、気安く使ってください」こんなふうにうそぶくことはできない。

では、ビニール傘のような扱いを受けないためには、どうすればいいのか?

それは、「骨」のしっかりした人間になることである。そうすれば、たとえ「向かい風」や「突風」に見舞われても簡単に壊れることはない。そしてタフな代物であることがわかれば、周囲からも大切に扱われるはずである。

しかし、「言うは易く行うは難し」の如く、人は安きに流れやすい。はじめは理想や信念をもっていても、いつの間にか変節してしまうことがある。

現状に100%満足している人は、まずいない。多かれ少なかれ、社会や組織、上司や部下に不満を抱いているはずだ。それが怒りや嫉妬、あるいは不安という負の感情と結びつくと、人間性をゆがめてしまう。そして、あらゆることに対して批判的になり、人間関係も狭くするだろう。この「負の連鎖」に陥ると、やがて心のタガが外れ、常軌を逸した行動に出てしまう。

不満をためて、会社や上司のせいにして逆切れしたり、内部告発する人もいる。しかし、その多くは結果としてうまくいかない。いくら粋がって正義の味方を気取って見せても、骨が折れたビニール傘にすぎないのである。

ものの本によれば、人は「人材」「人財」「人在」「人罪」に分類できるという。人材を磨いていけば人財になるが、失敗を恐れてなにも行動しなければ、ただそこにいるだけの人在になり、悪事に手を染めれば人罪になる。

しかし、この境域は思いのほか狭いのかもしれない。善良な市民がモンスターに変身するのと同じように、簡単に人生の道を大きく踏み外してしまうことがあるのではなかろうか。

 

8月月報

●CSとRM

「こちらに非はないと思っていても、100%の確証があるわけではない。どこまでお客様の目線での対応をすればいいのか?」

もちろん、クレームはCS(顧客満足)対応が基本です。ご指摘・ご不満・ご要望が、企業やお店にとって貴重な情報源になることも事実であり、サービス向上や業務運営に役立てられるケースは枚挙にいとまがありません。

顧客の心理に目を向け、クレームの裏にある不安やコンプレックス、こだわりなどを汲み取る。これが、クレーム対応で最初に求められる目線。お客様の気持ちに親身なって「気配り・目配り」することが『CS』の基本です。

 

一方で、何が起こるか分からない不安な時代に、しっかり企業・店舗を運営していくためには『RM』(リスクマネージメント危機管理)の考え方も不可欠なのです。

金品や特別扱いを要求する悪質クレーマーに屈していては、常習化し業務運営に支障をきたすことになります。

クライシスに陥らないためにも、CSからRMへの切り替えを事前に準備し、クレーム対応中も意識しておく必要があるのです。

 

●情報過多社会

情報を得ようとして(が多すぎて)混乱している現実にも気付いてほしい。相手に気を配り過ぎると、心も目も手も「パソコンやスピーディーな社会への対応」で、使い過ぎて疲れきっている。

具体的に言うと、RMの領域で「気・目・心」を配っていては、相手のペースにはまってしまいます。モードをチェンジしたら焦点を絞り、クレームの内容ではなく、クレーマーの「言葉」と「態度」に注目するのです。

 

●逆手に取る技術

経験したことのない猛暑が続いた今年の夏、四国の四万十市では観測史上最高の41度を超えた。

こんなニュースを聞きながら「立秋とは名ばかりで実態と合わない。季語も考え直さなくてはいけない時代だな・」「雨がほしいな・・・ひと雨でも・・」と思いながら甲子園の球児たちを観ていた。するといきなり速報が流れ、アナウンサーが叫んでいる。「これまで経験したことのない豪雨です!!」

猛暑も豪雨・爆弾低気圧の激しさも、これまでの経験が通用しない。まさに先の見えない不安な時代の到来である。押しつぶされ心が折れそうになるが自然環境には抗いようもないが、ものは考えよう。

四万十市は暑さを逆手にとってPRし、地元の直売所は最高の売り上げを記録したという。
「ようこそ日本一のあついまちへ」。小学生が夏休みの課題で作った手作りの看板がネットに流れニュースでも紹介される。費用はかけなくてもネットを使えば、良いニュースも悪いニュースも瞬く間に拡散される。

情報化時代は何事も“逆手に取るぐらいのしたたかさ”が必要なのかもしれない。

情報過多に流されず、悲観や心配し過ぎてもはじまらない。地に足をつけてしっかり踏ん張り生きて行く。

 

●タガの外れた輩には、常識人はたかが知れている

クレーム対応において最善の回答を導き出すという姿勢は、一見すると合理的に思えますが、悪質なクレームの場合は必ずしもそうとは言い切れません。なぜなら、クレーマーの悪意や「心の闇」を完全に理解しようというのは、どだい無理な話だからです。そもそも、クレームに対して百点満点の解決を目指すことは、過度なプレッシャーをもたらし、それが判断ミスにつながることになるのです。

 頭脳明晰なエリートほど、この陥穽にはまりやすい。それは日頃、つねに完璧な「正解」を求めているからですが、クレーム対応では数式どおりにはいかないのが現実です。

明らかに悪質クレーマーだと見極めたら、相手のペースに巻き込まれないように余計な情報をシャットアウトすること、自ら「視界」を狭めて(耳を閉じ)しまうのである。

たとえば、クレーマーから執拗にいやがらせの電話がかかってくる。

「どうしてくれるんだ!」受話器を耳に当てていると、鼓膜が破れそうになる。

そんなときは、相手の言うことを一言一句漏らさず聴こうなどと思ってはいけない。反対に、受話器を耳から遠ざけてしまえばいい。怒鳴り声を“逆手にとれば”それまで身がすくむほど恐ろしかった罵声が、ちょっと耳障りな雑音ぐらいに感じるはずだ。

7月月報

7月

●夢(住処)さがし

・さびしい人が絆を求めて集まるネット社会。

・夢を求めて田舎を出たが、喧騒の中で埋没してしまう都会暮らし。

・Uターンしての田舎暮らしは排他的で、未だになじめない村ハチ社会。

最近の事件報道で感じることは、不安な時代に「安全安心な“住処”」を渇望する現実。

現代社会はどこに住んでいても、現状への不満と将来の不安に押しつぶされそうになる。いわば良心や寛大さを忘れた、圧迫(圧力)社会と言える。地球環境は温暖化だけではなく人間関係など様々なことが圧力・プレッシャー(ストレス)となり“気圧も高く”生き辛くなっていると言える。

例えが悪いが、ボストンマラソンのテロリストは圧力釜を使用した。圧力釜が手製爆弾やテロに使われる理由は、圧力をかける分だけ爆発した時の威力も絶大なのである。

●“絆”と“柵”(ご近所モンスター・LINEモンスター)

私の地元、呉市での16歳少女の事件と山口県周南市の63歳男による凶悪事件、全く違う犯人像だが、意外にも事件の背景には共通(類似)点が多い。

若者の凶行はネットに絡んだ友人関係で孤立することへの恐れ。LINEという集まりから仲間はずれにされるのではという恐怖、加害者にならなければ自分が被害者になりかねない不安感、ネットという増幅装置が孤独と悪意を増幅させた。

一方の63歳の残虐な犯行は集落で孤立してしまった圧迫感が根っこにある。限界集落に近い密接な近隣関係の中での被害者意識、村八分の孤独感が悪意を増幅させ凶行に及んだ。

この恐れ(恐怖感)はいずれも現状への不満と将来への不安によるところが大きく、“不満”と“不安”に『圧迫され』爆発し凶行に及んだと言える。

新聞やメディアが「心の闇」として括ってしまう、“凶悪モンスター・残忍な事件”の根っこを分析すればこんなところではないだろうか。

○LINEの中でのエセ優しさ(偽共感)と被害者意識(絶対許さない「倍返し!」)

安心できる居場所を求めるが、安らげる居場所がない(集落で孤立・LINEでトラブル)

こうした身近で避けて通ることのできないご近所(LINEの場合は依存症的)関係の中で、折り合いが取れずに暴発してしまった結果だと言える。

 

○夏の帰省時期になるとローカルニュースは、都会で暮らす子供世代に訴えるように、家族のあり方について問題提起している。日一日と、更なる高齢化が進む島の老人たちは言う「都会は嫌い」「とてもじゃないが、怖くて住めない」。平地は少なく車の運転(ほとんどが軽トラック)ができなければ生活もままならず、医療機関もないが島が一番。

一見、不自由な生活のようだが、息子が「一緒に暮らそうと」呼ぼうとしても、都会や他の土地で生活する氣などない。

○そんな田舎、山口県周南市の小さな集落で凶悪残忍な事件が起こった。この集落はわずか11世帯で人口は僅かに16人しかいない。この田舎町で生まれ育った63歳の男が、集落での『孤立を深め』5人を惨殺して放火した事件は衝撃である。

携帯電話も通じないし、車の履行さえできないほどの細い道ばかりの集落。高齢者が多く、狭い道を通って他の集落から足を踏み入れる人はほとんどいない。一方で住民同士のつながりは強く、自治会行事等で家族のように頻繁に顔をあわせ鍵もかけずに出かけるなど、身を寄せ合って生活している。この、小さな世界で惨劇は発生した。地域の『絆』家族の「強い絆」という「紐(縛り付けるモノ)」は、縺(もつ)れて「柵(しがらみ)」となる。

ある意味、少子高齢化の原因も、結婚により家族を作ることは「柵(しがらみ)デビュー」になり、自由気ままな生き方の負担になる。伴侶を得て家族を作れば、生活は一変し、その後人生が面倒くさくなる。こうした予想される、「生き辛さ」によるところなのかもしれない。

○家・・住処・・・理想の住まい

住宅メーカーのCMが切なく聞こえる。

「家に帰れば00ハウス」。

ライフスタイルと住まい。これからの快適な住まいづくり。

人生がもっと好きになる暮らし方。快適な住まいのあり方スマートハウス

 

■猛暑と爆弾低気圧の厳しさも不安をあおり、押しつぶされ心が折れそうになるが自然環境には抗いようもない。
クレーム対応も、クレームという圧力、理不尽なクレーマーという悪意に攻撃されても反撃できない現実がある。
「弱者を前面に出すツワモノ」がクレーマーだとすれば、企業・組織は良心的に 対応するしかない。
良心は悪意に対して反発することすら許されない。地に足付けて暴発しないように業務対応して行く“修行”だと思うしかない。