医療機関で働いていると、小さなミスや勘違いによって患者さんや家族の怒りに触れることが少なくない。時にその怒りが暴力的なものとなり、業務に支障が出るケースもある。近年、コンビニエンスストアの店員などに土下座させた写真をインターネットに投稿して逮捕者が出るといった事件が何度も発生しており、医療機関も決して他人事ではない。
こうした理不尽な要求があった場合、医療現場はどのように対応するのか。
「理不尽」――。この言葉を辞書で調べると、「道理に合わないこと。また、その様」とある。つまり、物事の正しい筋道、人として行うべき正しい道からそれているということだ。簡単にいえば、「あの人、ちょっと違うんじゃない?」と感じることを、あたかも、当たり前のように行う「自己中な人」と言っていいかもしれない。
世の中には、理不尽なことをしたり、言ったりする人がたくさんいる。あなたの身の回りにも、思い当たる人が何人かはいるはずだ。
こうした「理不尽な人」との対応は、神経をすり減らし、あなたの幸せな時間と精気を奪い取るモンスターである。
ところが、現代社会のモンスターたちは、見た目は「普通の人」と変わらない。モンスターというと、その言葉の響きから極悪人を連想するかもしれないが、いま日本列島を席巻しているモンスターのほとんどがネットやSNSなどを利用して腕力が強くなった一般市民である。
モンスターの多くは、過剰な権利意識と併せて被害者意識(被害妄想)をもち、自分が常識はずれなモンスターであることすらわかっていない。
しかも、社会的な弱者である患者の立場により生じる過大な要求は、事実上、野放しの状態である。私たちは、こうした現実で業務を行っていることを自覚して自己防衛するほかない。
■2025年問題は既に始まっている~いつのまにかモンスター化した団塊世代~
団塊世代が後期高齢者になる「2025年問題」は早くから問題視され、抜本的対策が必要だと指摘されている。一般的には、医療費などの社会保障費の急膨張による、医療・介護のサービス体制の見直しについて語られてきた。
しかし、医療の現場ではすでにクレーマー対応の悩みは前倒しされ、既に深刻な問題になっている。
○「孫に何かあったら、どうするんだ!」
突然、ひとりの老人が医療機関大声を張り上げた。そのすぐ横では、泣きべそをかく幼児を母親があやしている。
看護士が慌てて駆けつける。「申し訳ありません。大丈夫ですか?」
老人は顔を真っ赤にして叱責する。
「大丈夫なわけがないだろう。こんなに泣いているじゃないか!」
一見したところ、子どもに外傷はなく、涙を拭った痕はあるものの、すでにケロリとしている。子どもが足をばたつかせて遊んでいるうちに、椅子から転げ落ちたらしい。大騒ぎするほどのことではない。
ところが、老人はつかみかからんばかりの剣幕である。若い看護師はなにがなにやらわからず、オロオロするばかりだ。
八つ当たりとしか思えない老人の振る舞いだが、見かけはこざっぱりした、優しそうな好々爺だ。いったい、なにが老人を怒らせたのだろうか?
じつは、こんな背景があった。この老人は70歳を間近に控え、ひとり暮らし。以前は、家庭で「フロ(風呂)、メシ(飯)、ネル(寝る)」としか話さないような亭主関白だったが、定年後、熟年離婚という形でそのツケが回ってきた。
彼自身、このわびしさは身にしみてわかっている。普段は孤独感や老いに対する恐怖心には蓋をして、なんとか平穏に暮らしているが、ちょっとしたきっかけで、そのやるせない思いを暴発させてしまうのである。
しばらく会っていない孫が風邪をひき、不安な母親と同行して病院にきたのである。頼りにされている充実感とともに大きな期待感を抱く。それだけに、受付のちょっとした不手際も許せない。
「待合が不衛生で汚れている。すぐにきれいにしなさい」子ども向けの絵本が少ないな」
「一時間待っているのに、まだ名前を呼ばれない」
団塊世代などに多いのが、寂しさを埋め合わせるように「説教魔」になるパターンだ。
日常感じている不満が些細なきっかけで爆発し、烈火の如く怒り狂うのも不自然ではない。
今、私がクレーム対応の指導をするなかで強く感じているのは、“シルバーモンスター”が増えていることである。かつて仕事人間で合った老人が、リタイアした今、激しい競争社会で身につけた交渉力を武器に相手を論破しようとするが、そのバイタリティとは裏腹に鬱屈した感情を抱え込んでいる人が少なくない。
年末の繁忙期、混みあう医療機関ではあれこれクレームをつけ、長時間にわたって持論を展開する男性の対応に追われていた。
「こんなところに医薬品を積んでおいては危険じゃないか。ほかに倉庫を確保すべきだね」
「そろそろ施設のリニューアルが必要じゃないか。院内にコンビニも導入したほうがいい」
まるで「水戸黄門の世直し」気取りである。言っていることは間違いではないが、その多くは理想論に過ぎない。一方、医療機関側としては煩わしく思いながらも、患者満足の精神からむげにはできない。
この男性は「困った患者さん」の典型だが、彼の心も寂しさでいっぱいだ。自分の存在価値を他人に認めてほしいが、ちっとも認めてもらえない。家人に話しを聞いてもらいたくても、忙しい現役世代から愚痴っぽい話しは敬遠される。その満たされない思いの代償を求めているのである。